「秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書) (新潮選書)」の紹介
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秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書) (新潮選書)


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この商品の感想

「やがて哀しき学歴コンプレックス」
 本書について気になった点がいくつかあるので、以下、順に述べたいと思います。

 まず前半部分ですが、大学受験の現状について述べている箇所があります。著者自身の学歴コンプレックスの裏返しなのか、大学入試にまつわる話がよほど好きとみえて、この部分に結構な字数を割いています。その中には「上智大学は最近ちょっと元気がないが」といった記述、あるいは、これまで「MARCH」と呼ばれてきた関東の私立大学群に学習院大学が加わろうとしていることを受けて、「学習院大学の規模で大丈夫だろうか」などという記述もあります。これらの大学関係者にしてみれば、一浪してもそれ以下の三流私立大学にしか行けなかった人間にそのようなことを言われる筋合いはないというのが本音でしょう。
 
 また、早稲田大学と慶應義塾大学を比較している箇所では、受験学力の高い中高一貫校からの進学者が新入生に占める割合が早稲田大学では5割を切っていると述べている部分があります。著者がデータの出典を示していないので、この数字がどの程度正確なものなのか、私にはわかりません。しかし一つ言えるのは、中高一貫校といってもそのレベルはピンキリであり、それらをひとまとめにして「受験学力が高い」とするのは話が大雑把すぎるということです。逆に、いわゆる中高一貫校ではなくても、各都道府県の公立トップ校には今でも高い進学実績を挙げているところが多く、6年制を採用しない学校だからといって、直ちにそれらの高校がこの著者の出身高校のように底辺校であるとは言えないということを記しておきたいと思います。

 早稲田大学に関する前半のこれらの記述を受けて、あとがきに、「もう一つ言い訳を書いておこう。前半の記述を読んで、早稲田大学に少し厳しすぎるのではないかと思う読者もおられるだろう。理由は簡単で、僕が早稲田大学に勤務しているからである。慶應義塾大学に勤務している人が書いたら、慶應義塾大学に厳しく書くだろう。それが、フェアネスというものだ」というくだりがあるのですが、この著者はフェアネスの定義を大きく履き違えています。
 
 フェアネスというのは、自分の置かれている立場からひとまず距離を置き、客観的な事実だけを拠り所にして物事の判断を下す態度を指します。この著者の場合であれば、自身が早稲田大学の教員であるということを一旦括弧に入れ、その上で改めて早稲田大学の諸々について何らかの判断を下すような態度です。ですから、そのように自身の立場をきちんと括弧に入れたうえで下された評価であるなら、それが結果的に当の早稲田大学にとって有利なものになってしまったとしても、それは何らフェアネスに反するものではない。ところが著者にはこのロジックがわからない。だからこそ、あとがきにあるように、早稲田の教員であるか慶応の教員であるか、つまりその人の属性なり立ち位置がどこにあるかによって判断の軸も変えるのがフェアネスであるというような頓珍漢な結論に至っているわけです。このように、著者が考える「フェアネス」は、結果として本来のフェアネスの定義から最も遠いものになっています。このあとがきを読む限り、率直に言って、あまり頭のいい人ではないなというのがこの著者に対して持った私の印象です。
 
 ついでですので、本論に当たる入試問題の解説部分についても簡単に感想を述べておくと、これといって特に目を引くような論考はありませんでした。読者を圧倒するような哲学的素養があるわけでもなし、かといって、その素養の不足をカバーするだけの論理的明晰さがあるかというと、それもない。要するに何もないのです。力のない者が分かったつもりになって書いたような、ひどく退屈な解説でした。

意欲作ですが使い方が難しい
「国語力ってなんだろう。国語力の強化のため具体的に何をすればいいのか」
受験生時代にこんな疑問持ったことが一度はあるでしょう。この本は入試問題を
つくる側の視点で、問われる国語力を明確に定義した画期的な本です。得点力
アップのためにどの様な能力を磨き、訓練すれば良いのかが明確になります。
そのあたりのスタンスが絶妙です。高校時代の現代文の指導として、多読せよ
とか、語彙力をつけるとか言われませんでしたか。そもそも、きちんと国語力を
理解し、国語力をつけるためのトレーニングメニューを作成指導できる先生が
全国にどれだけいるでしょうか。
地方の公立高校生でも、この本をしっかり読み込んで入試で問われる国語力を
自分なりに定義し直し、訓練することで現代文が他の教科と同様、努力が得点に
結びつく教科となるでしょう。

ただ、受験直前に読む本ではありません。この本が直ちに入試問題での得点力
アップにつながる訳ではありません。少なくとも高校2年の間に読んで、自分
なりの方法論を見つける必要があるのではないでしょうか。

そのあたりのメニュー指導についても、石原先生に期待したい所です。


受験国語の上質な解説者であり批判者、さらには提言者
  「日本の国語教育は道徳教育である(道徳的にまちがっている選択肢はまちがい)」、「入試国語の問題は子供たちの個性を試すのではなく、平均値を知っているかどうかを試している」って氏の主張は卓見。そしてその対処として、「まず、小説を「自由」に読みたい自分を殺さなければならない。次に、「学校空間」にふさわしい物語がどういうものかを身につけなければならない」って指南も正鵠を射ている。
 この著書が単なるハウツウ本でも批判本でもないのは、著者がポストモダン的な思考をモビルスーツのごとく自らの血肉としているからだろう。「ほんとうはどうだったかなどと問うのが愚かしいことは言うまでもない。文学テクストにほんとうはない。すべては解釈の結果なのであって、活字の向こうにほんとうがあるのではない」。この見切りさえ出来れば、社会生活の様々な断面で、窮することがあっても突破していくことが出来る。「国語は道徳である」ってゆー文脈が読めること、相手の思い通りにその場限り乗っかってやること、そーゆーコミュニケーション能力が重要なのであって、別に心底、その道徳とやらに感化される必要はないのだ。「枠組はいくつでもある、論理は何通りもあるということに(中略)気づくのが知性というものの役割」ってゆー著者の言葉に共感する。批判するだけじゃなく、「一つの小説を三通りに読む訓練」って発想にも唸っちゃう。 「山崎正和が近代的システム転換期における上質の解説者だったとすれば、ニューアカの人々は近代的システム転換期における上質の批判者だった」って言葉が出てくるけど、著者はさしづめ、“受験国語の上質な解説者であり批判者、さらには提言者”ってとこだろうか。
 “「教養主義」の「近代」から、「読解」を中心とした「現代」への過渡期が1970年代”なんて、まさにその通り。受験国語だけ切り出しても、こんなに色々なことが見えてくるなんてね。

秘伝 入試問題作成マニュアル
少子化ゆえに大学改革は急務である。
それは、入り口である入試の実施形態や作問のあり方にまで及んでいる。

入試問題は常に外部評価に晒されるゆえ大学サイドは大変神経質になるのだが、
選抜の適正なツールとして質的な評価を得られない学校も多い。
そこで入試担当者の負担軽減と作問技術の未熟さをカバーするため、
問題作成を外注(主に予備校)する大学が増えている。
(ちなみに大手予備校の場合、1教科1回分百万円以上と結構いいお値段らしい。)

ところで、入試問題は入学者を選抜するという性格上、アドミッションポリシーを込めねばならないのだが、
外部委託により「仏作って魂入れず」ということになりはしないだろうか?

外注の場合、漏洩を防ぐため大学名は秘匿して講師に依頼するのが普通である。
しかし本気で大学改革を考えるなら、
作問者に対し大学名を伝え選抜の意図を理解してもらわねば、高額出費に見合った効果は得られないだろう。
それどころか、相手がプロなら礼儀を失っしている。

さて、この本の読者は受験生を想定しているようだが、
その両親および教育関係者も注目するはずである。
しかし、ほとんどの書店では、学参売り場に置かれることになるだろう。

入試現代文の典型的なパターンを示し、その攻略法をわかりやすく伝授している。
筆者の相変わらずの勘どころの良さと、「受験学」ともいえるアプローチで、読み物としても大変刺激的である。

今の受験生の両親は、子供以上に受験情報に敏感かもしれない。
自らの受験ノスタルジーも相まって、マーケットとして成立していると思うが、
いくら親が学んでも子供にはうまく伝わらない、と言ったら皮肉に聞こえるだろうか。

いずれにせよ、受験生にとっては目からウロコに間違いない。
だからといって、ハイエンドな早稲田の現国を制するには、
相当な訓練と習熟が必要であることに変わりないのであるが。

むしろ全力で入試改革に取り組み、
新しい出会いに想いを馳せてあくまでも自作にこだわろうとする、
入試担当者への熱きメッセージとして受けとめた。


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