「漢字は日本語である (新潮新書)」の紹介
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漢字は日本語である (新潮新書)


漢字は日本語である (新潮新書)
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この商品の感想

内容の信頼性には要注意。
本書第一章とその紹介対象『新潮日本語漢字辞典』の問題意識の原点は、「漢和辞典は、漢文を読むための辞典」であり、「漢和辞典で日本語に使われる漢字を調べるのは、どうしても無理があります」という点にあります。この問題設定自体は、とても良いと思います。

しかしながら、内容を実際に読み進めていくと、消化不良な部分が多く、結局、漢和辞典や国語辞典との違いが充分に像を結んでいないような気がします。原因は、いうまでもなく対象領域が曖昧なため。(辞書類を作成する上で最も困難で重要な部分。)

- 漢字なのか、熟語も含めるのか?
- 日本由来のもの限定なのか、中国由来のものも含めるのか?
- 現代語限定なのか、伝統的な古い語彙も含めるのか?

以上の点が終始揺れていて、どこまでを含み、どこからを含めないのかが曖昧です。部首配列モデルも、散々批判しておきながら、対案となるモデルを提示しないまま、結局「従来の漢和辞典のやり方をあえて踏襲」すると結んでいます。

第二章〜第五章は短い漢字コラムの集積、第六・七章は常用漢字表・当用漢字表・人名用漢字・JISコードに関する話題が続きますが、こちらは全体的に漢字ナショナリストによる個人的・主観的な想いの吐露といった感じで、客観性・論理性に乏しく、バイアスも掛かっていて、個々の内容の信頼性にも疑問が残ります。情報が古かったり、足りなかったり、間違っていたりする部分が思いのほか散見しますので、安易に鵜呑みにしないよう注意が必要です。(具体例を3点だけ挙げておきます。)

-「『吉』という字は、明治以前には字典の中にしか存在しなかった」「これは中国でも同じ」(p.028)→ 実際は多数ある。(ex: http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%E5%90%89、http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/djvucharquery=%E5%90%89)特に科挙の教科書ともいうべき開成石経や、それに附刻されている唐の張参『五経文字』・唐玄度『九経字様』が「吉」(サムライヨシ)の字形なのは影響力の点から重要。

- 「一つの字の音読が何種類もあるのは、日本だけ」「中国には一つの字に対して一つの読み方しかないのが普通」(p.083)→ 中国語も同じ字に複数の読みや声調を持つことがしばしばある。たとえば「和」は、声調違いも含めると he2, he4, huo2, huo4, hu2 の5音ある。(そもそも、音読が何種類もあることにどんな意義があるのか?という疑問もありますが。)

- ISO/IEC 10646に入っている漢字は「二万一千字近く」(p.186)→ これでは基本多言語面、それもCJK統合漢字領域だけ(十年前にはすでにこの水準)。いわゆる"ツチヨシ"を含む、追加漢字面などの拡張漢字も含めるとすでに70,000字以上。


役にも立たないおもしろさ
世に雑学辞典なる本があります。
これは、その漢字バージョンです。

第1章では、自分が編纂した新しい漢和辞典のことを、子供のように胸をそらして、エッヘンと自慢しています。
第2章以降は、自分の漢字コレクションを、ちょうど子供が自分の虫コレクションを自慢するように、これも見て、これもおもしろいでしょ?、と見せてくれます。

何かのために本を読みたい人にはお勧めしません。
たとえば、職場の人間関係を改善したいとか、貯金をふやしたいとか、そういう人には不向きの本です。
また、エンターエインメント小説が好きで、ハラハラドキドキしたい、感涙に咽びたい、大笑いしたい、という人にもお勧めできません。

この本は、怠け者が読む本です。
例えば、けだるい日曜の午後、横のものを縦にもする気になれず、ナメクジのようにずるずると書架に這っていき、なにか暇つぶしに、と手にするのです。
そして、ナメクジ姿勢のまま、ほにゃらほにゃらと読みふける。
それがこの本の正しい読み方だと、私は思います。


ずっこけました
この本から読みとれるのは、ほぼ「著者は漢字が大好き」ということだけでした。漢字を崇め奉りたい欲求のあまり、かなりトンデモな議論が展開されてます。「諸外国の人々が平仮名をマスターしようとしたら大変な苦労をするだろうことは、容易に想像できるのである。平仮名は、造形的には世界でも有数の難しい文字であるに違いない。」(p.102)と、ひらがなは漢字より難しいと、実証的には成り立たない主張をする一方、「あらゆる漢字は…約八百の要素の組み合わせからできている…。私のような記憶力の弱い者でも多くの漢字を覚えてこられたのは、これらの要素だけ覚えていれば、あとはその組み合わせでいけるからである。」(p.116)と、その学習の困難さは全く問題にしていません。こうした矛盾には気づけない、知識だけ肥大化した漢字オタクによる書、と言えます。

興味深い話題が満載だが、「売らんかな」の気持ちが強すぎるのが残念
私にとっても漢字は“飯のタネ”なので、本書の興味深い話題には惹き込まれた。

好奇心に富み、知的レベルが高いと評される日本民族は、さまざまな創意工夫を重ね、元来は中国原産の漢字を日本独自の文化に育て上げた。味わいある言い回しには、中国語ですら及びもつかない流麗な表現が凝らされている。

しかし、本場中国でも手を焼いてデザインを簡略化するほど、構造が複雑な文字も多い。だから書き文字には思いもよらないクセが多く、それが誤字や偽字を多く生む要因となった。

それが嵩じて、同じ字のはずなのに微妙に構成やデザインが違う、という例が増え、整理に困った国家権力が、不当とは言わないが過剰な反応をした挙句、字数や書体の奇妙な制限をするようになったわけだ。

このあたりの、当用漢字や人名用漢字にまつわる、時代の要請と為政者の恣意に翻弄され続けた歴史の話は、非常に面白かった。
他にもさまざまなウンチク話が語られ、少しも飽きなかった。

ならば満足したか、と問われれば、じつは違う。
漢字は日本独自文化だ、という主張は同意できる。だが、「だから私が企画編集したあの漢字辞典を買ってね」という“売らんかな”の意図や感情が見え見えなのだ。この空気が全編に流れていて正直閉口した。

その点が最後までどうにも受け容れられなかったため、星1個減点させてもらった次第。

辞典は労作だが・・『漢字と日本人』に軍配か
『新潮日本語漢字辞典』は良い辞典です。漢和辞典は日本語の辞書でも中国語の辞書でもない「ぬえ」のようなものだとの指摘が高島俊男氏らによってなされています。現代日本語の語彙は(1)中国の古典から漢字と共に輸入したもの(2)和語(古くからの日本語)(3)明治時代に西洋の概念を日本に輸入するために漢字を使って翻訳したもの、の3つからなっています。漢和辞典は(1)のみを対象としているため、日本語の辞典ではなく、かといって口語を収録していないため、中国語の辞典でもないというのです。
そこで、『新潮』では漢字をすでに日本語の一部になったものと考え、日本人にとってなじみの深い語を収録しました。そのため従来の漢和辞典では引けなかった「秋桜(コスモス)」や「秋刀魚(さんま)」などが引けるようになっています。
前置きが長くなりましたが、本書はその『新潮』編集者の手になるもので、期待して手に取りました。確かにへぇーとなるトリビア的なものは沢山触れてあるのですが、漢字とはそもそも何なのか、日本人にとって何であるのか?という根本的な問いに答えているかという面で言うと、高島氏の『漢字と日本人』に一歩譲らざるを得ないでしょう。
例を挙げると「共産主義」という言葉が日本製の言葉でそれが中国に逆輸入されたと述べた箇所がありますが、そもそも近代化のプロセスが、日本の方が早く始まったので、西洋の概念を先に翻訳したのが日本だったというだけのことです。また、西洋人との交流自体は中国の方が先だったため、「幾何」「代数」等中国産の翻訳語も多数あります。
『新潮』は良い辞典ですが、本書は「漢字は日本語である」ことに固執しすぎているように思いました。日本のものだ、いや中国のものだと「取りっこ」をしてもしかたがないでしょう。文化は対等なものだということを忘れないようにしたいものです。

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